窓際おじさんのハイブリッド投資

役職定年後窓際に追いやられたシニアの投資、癌との対決を紹介するブログです。

役職定年後、窓際に追いやられたおじさんです。近々定年で再雇用(嘱託)の身分になります。年収のことを気にせず、できるだけ早く、やりがい重視のシニア転職を実現させたいと思います。そのためにも、投資信託、米国ETF、配当株、株主優待株で、楽しみながら、堅実に年5%以上の資産増を目指す過程と、会社での窓際生活の諸々、趣味の写真も時々紹介するブログです。

今日は投資を始めたきっかけを回想ー1

投資歴は長いのですが、自分にあった投資スタイルがまだ定まっていません。
回想から、いろいろと考えてみます。


30歳かその前か、大和証券に、中期国債を買うために口座を開きました。そもそも、投資というより、貯蓄が趣味でした。利率は今と違って高く、定期預金みたいに満期というのはなく、出し入れが自由でした。


 長期の預金は、生命保険(10年満期)、短期は、信託銀行か郵便局、手持ちは中期国債ファンドでした。信託銀行からは、ビックとかワイドという商品がだされており、利回りは、5~7%あった筈です。


あるとき、大和証券の若い窓口の女性に勧められるままに、オーストラリア債券を買い、しばらくして、売らされ、英国の薬品会社:グラクソという日本に上場していた海外株を買いました。当時は、窓口の女性は若くてきれいで、株でもうけたおじさんは、窓口レディにネックレスとを送ったり、食事にさそったりという時代でした。わたしもひそかに恋心をもった方がいましたが、雑談をするだけで喜んでいた、もてない30歳代でした。これが株を始めたきっかけです。本当? 自分でも思い出せません。


バブルの後半になり、周囲の影響を受け、日本株投資を始めるために、グラクソを売ったわけですが、株式分割もあったらしく、株数も評価額も倍になっていました。もう少し知識があれば、今ならば、グラクソを売らない選択をしていましたが。。。。タラレバの世界ですね。


日経平均が最高値をつけた年末、同僚と昼休み、証券会社の店でボードをみていました。
82万円で買った宇部興産が100万円のストップ高になったり、それだけで浮かれてた時代でした。一方で仕事も残業続きで、毎月100時間以上をし、年収も順調に増えていく時代でもありました。
バブル崩壊後は、利益の大半を失うことになりましたが、その後の40歳代から50歳前半、へそくり300万円ぐらいの資金で、小遣い稼ぎ程度に株の売買をしていました。


30歳代後半から、結婚や住宅購入で、それどころでなかったので、老後資金を株で運用する考えはなかったのですが、3年前、銀行預金の利率の低さに嫌気がさし、ボーナスで定期的に買っていた国債や定期預金を順次、投資に向けました。もちろん、一部は住宅ローンの繰り上げ返済もしています。
投資金額を増やしたのと、民主党⇒自民党となった時期がかさなり、下手な運用でも好調な成績でしたが、年初からの急落で、一時は、2年間の利益が0となるところまで下がりました。今は戻り、ラッキーでした。


8月にいろいろと反省し、長期保有前提の投資信託・株主優待・配当が高い会社、自分が理解できる仕事をしている有望な会社への投資にかえました。いわゆる塩漬け株を損切りし、一からのスタートを切ったつもりです。


ただ、年数だけが長いだけの、勉強不足の投資家なので、自分の考えを整理するために、ブログとして公開をしました。
 他の方のブログ、10-15ブログは毎日アクセスしています。参考になります。自分の投資スタイルを持たれ、勉強され、よい商品(株や投資信託)を、自分にあった時期(定期購入、急落時)に買われ、失敗も分析される方の運用成績が良いようです。


と思いながらも、58歳という年齢で、堅実な投資を目指したいながらも投資スタイルが定まらず、いろんな商品に目移りします。これは、性格のようです。ハイブリットという名前をつけた理由ですが、良い投資スタイルとは思っていません。30歳ぐらいから、いろんな金融機関の商品を買っていましたから・・・・・ 


 その時に始めたニッセイの積立年金(10年確定型)が今、国の年金とともに老後の生活資金の核になります。自分の寿命が74歳までならば、国の年金とニッセイの年金で、老後の毎年の生活費の90%以上は心配ないのですが、85歳まで生きるかもしれない、避けれない介護の問題などを考えると、今後の運用が75歳以降の私たちの生活の質を決めます。
当面は不要な余裕資金での投資ですが、ある程度のリスクを承知した上で、楽しく堅実な投資を続けていきます。



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